【2Pカラー(白髪化)大崎IF】見よ、古いものは過ぎ去って、

内容紹介(本の裏表紙的なやつ)+注意書き

「かつての君は殺され、脱皮するが如く生まれ変わってしまったんだよ。あの大江島で」白髪に鹿撃ち帽を目深に被る六尺もの美丈夫。その冷淡な佇まいは他者を戦慄かせる威圧感を放つ。昔日への悔恨と煩慮はすべて、黒髪の『彼』の形見に過ぎない――精神の遺灰から産まれた、己の悪性を赦し肯定する真白の男。その起源はあの日、『彼』を殺した青年にあった。

※注意書き※
・テーマは「白髪化大崎さんIF」。ですがこの二次創作は「「2Pカラー大崎さん」」が正しい。
・1959年。本編軸から3年以上経過(大崎さん26歳・汐留23歳)
・前半はほぼ大崎さん+静馬さん、後半大汐。バチバチだったり壊し壊されしてたり。
・全体的には「2Pカラー大崎さん」の物語です。
・原作のような後ろを振り返る度に過ちの痛みを堪える、不器用な優しさを纏う気遣い屋の大崎さんはもう居ない。
・人を選ぶ話です。前回と根底は似つつも方向性は真逆かも。
登場人物など含めて、原作前編時点で自分が勝手に受けた印象から応用して執筆しております。
ご閲覧に関しましてはすべて自己責任でお願いします。

■昭和34年2月

 街路の膚を這って蠢く薄墨色のただ上の、はっきりと目立つ白濁の染みという例えが、今の風変わりな自分の見てくれを表す最適の解だと感じることがある。
 
 立春を過ぎても、肌を刺す冷気は未だに衰えを知ることはない。
 羽織る外衣も、目深に被った鹿撃ち帽も、かつての自分なら選びもしなかったであろう白基調のもので揃えている。この方が何かと都合が良いのではないかという、職場の後輩からの助言に従った結果だ。
 未だに慣れはしないし、探偵にしては派手な様にも感じてしまうが、『木の葉を隠すなら森の中』とは成程、的を射た教訓であると最近では考えを改めている。先月邦訳版が出た推理小説。主役である探偵のこの台詞に目を通した際、今の自分に課された義務に対して妙に説得力を有しているなと、ひどく驚いたものだ。
 白を隠したいと思う者は、より多くの白をこしらえてそれを隠す――目立ちはするものの、自分が懸念すべき悪目立ちは極力避けられる。己の特異性から生じる面倒事は少ない方が好ましい。
 けれど秋冬に纏う衣を選ぶ際、やはり暗めの色調を好む層が大多数には違いなかった。淡い着物も混じっているが、それでも落ち着いた色合いだ。
 この地上を天から俯瞰したならば、自分の白はまるで珈琲に一滴落とされたミルクのように見えるのかもしれない。或いは、大々的な葬儀の中央で喪服の参列者に囲まれた死装束の亡骸か。誰もが死んだと信じ切ったはずの屍が、閉じた棺を内側から叩き、変わり果てた容貌で這い出して人ならざる呻きを上げる――それは果たして奇跡の蘇生か、それとも有り得てはならぬ凶兆だろうか?
 
 陽の傾きも早い如月の、午後三時の待ち合わせ。つまらないことを考えながら歩いていた次第だが、目的のカフェに辿り着いたと気が付いたのは入口の前に立ってようやくのことだった。現在の時刻も指定された数分前。恐らく先方は既に到着して、中で寛いでいることだろう。
 扉の廻し手を掴もうと一歩進んだところで、ドアチャイムの軽やかな音と共に内側から開かれる。拍子に、胸元に飛び込む形で人の頭がぶつかった。背を大きく曲げた、白髪交じりの夫婦の片割れだった。男の方は短く驚きの声を発し、反射的にこちらの顔を覗き込む。目が合うと男は数秒言葉を失っていたが、異質さに思考が追い付いたのだろう、途端にしわがれ声の悲鳴を上げた。この手の反応にもすっかり慣れてしまったものだ。社交辞令に倣って「すみません」と頭を下げる。夫婦は慌てて会釈を返し、足早に立ち去った。
 無感動のまま店内に足を踏み入れる。室全体は落ち着きのある暗褐色をベースとした格調高い内装だ。雑談を楽しむ客も少なからず居たが、喧しい声を上げる者は一人として見当たらない。
 席へと案内される際に一瞬待ち合わせ相手の愉快そうな邪悪な笑みが視界の端に映ったが、下手に突っ込めばそれこそ調子に乗りかねない。何も触れぬことにする。
 自分を気安げに招く、よく似た顔をした男。彼のことは相変わらず好ましく思えぬままだ。加えて今回に至っては、厭わしいとさえ感じる程のわざとらしい手振りだった。

「やあ、久しぶりじゃないか。遠路はるばるご苦労様。立ち話も何だ。早いところ席に座って、飲み物の一つでも注文したらどうだ?」

 にやにやと口角を上げてこちらを見上げる男を、内心くだらないと蔑みながら見下ろした。正直な所、このままとんぼ帰りさえしたい気分だった。
 けれどこの男――浜静馬は中々の曲者だ。呼び出しを無視すれば絶対にこちらの自室に押し入られるか、出先で待ち伏せでもされるに違いないと容易に想像が付く。避けられる杞憂に対しては賢く立ち回るべきだ。つまるところ今回のように、相手の要求に応じざるを得ない不利な立場に自分は在った。
 テーブルに置かれた珈琲と同じ銘柄を注文し、視線は合わせぬまま外套を脱いで腰を下ろす。一方の彼はキョロキョロと周りを見渡した後、身を乗り出して無遠慮に顔を近づける。

「へえ、今回は汐留くんはいないんだ。てっきりまたびったり、君にくっついて来るとばかり思っていたよ」
「疲れているようでしたので、休ませたまま一人で来ました。あなたとしても、その方が都合が良いのでは」
「よく判ってくれているじゃないか。嬉しいよ。確かに彼は面白い友人だけど、俺は常に君と二人きりで歓談したいと思っているからな。
 ……あ、これは悪口じゃないぞ?どんなに親しい間柄でも、たまには水入らずを許して欲しいというか、ちょっとくらい君をお裾分けしてくれてもいいんじゃないかって、ただそれだけの話なんだ。変な誤解をしないでくれ。恋人を少し粗末にされたからって、機嫌を損ねるのだけは勘弁してくれよ。寛容に寛容に、だ。アハハ」
「……」
「アハ……」

 この妙な掛け合いも、もはや毎度のお約束と化していた。
 自分と瓜二つであるこの男と会話する度、奇妙な感覚に襲われる。不気味なほど同じ造りをしているのに、何故こうも在り方が違うのか。並べれば生き写しに見えるだろうが、個々で認識すれば、意外とかけ離れているものだと識別できるのではなかろうか?
 女給が珈琲を運んできた。唯一黒を嵌めた手でそれを取ろうとして、ふと、ある考えが浮かび動きを止める。そのまま一緒に置かれたミルクピッチャーを掴んで、ほんの少しだけカップへ注いだ。濁りながらも透る、深炒りの濃い黒茶色。陶器の内側を満たす液の表面に、乳白色の波紋が淡く広がっていく。普段ならば、かつてならば何も感じないであろう一連の小さな情景が、やけにこの胸にストンと落ちた。
 自分の様子を観察していただろうに、こちらの不可解な行動に対して男は特に言及しなかった。代わりに選んだ別の話題も、なまじ無遠慮なものだったが。
 
「なあなあ、さっきのは傑作だったよ。あの爺さんが腰を抜かすんじゃないかってハラハラした。外野からすれば面白い見せ物だった」

 その声色は嘲りを含んでいた。冷笑を浮かべた彼はくつくつと、湧き上がる可笑しさを堪えるように喉を鳴らして珈琲を啜る。

「怖がらせてしまったのだと思います。何せ六尺もある、不愛想で大柄な男とかち合ったのですから」
「はぐらかすなよ。別に取り繕わなくていい。本当は判っているくせに、俺相手に弱みを見せまいと誤魔化そうとするのはやめてほしいな。他人行儀みたいで悲しくなるじゃないか。
 ……あ、弱みってのは言葉の綾だぞ?君はもう、そういうのを気にできない奴に変わってしまったんだって、ちゃんと理解しているさ」
「……」 
「似合わない帽子で隠しても、余程鈍感な奴じゃない限り、間近で見れば誰だって気付くよ。なあ?真白の髪の美丈夫。
 肌の色や眼の光彩を考慮すると白皮症の類いには到底見えない。それなら幻想小説か海外文学から飛び出してきた空想の産物みたいじゃないか。不気味とミステリアスは紙一重だぞ。その外面に惹かれる奴だって本来なら少なくないはずだ。言い換えればそれは、君の武器になり得る強烈な個性なんだから。
 でも今の君は、君自身が醸し出す冷血さ、つまりは雰囲気でその全てを台無しにしている。生活に必要な分の最低限の思慮深さは残っているのに、以前にも増して迫力がある冷淡な佇まい。威圧感とでもいうのかな。悪寒がするほどに何処か恐ろしいんだ。それに凍てついた瞳も暴力の赤を連想させる。名状しがたい奇態な存在さ。これらの要素に抜きん出た長身まで加わっちゃあ……まさしく蛇に睨まれた蛙ってね。可哀想に。寿命が縮んでないと良いね、さっきの夫婦」
「……」
「心配しないでよ。俺はそんな君も愛してるから。兄弟の絆はちょっとやそっとじゃ揺るがないぞ。誓っても良い。何ならここで土下座でも見せて誠意を示してやろうか?」

 男の軽口はさておき、指摘されてようやく被ったままの帽子の存在に気が付いた。面倒だとも感じたが、室内ならば脱ぐべきだろう。それが作法というものだ。
 俯いて、静かに帽子をとる。視界の上部に、はらりと銀の毛先がちらついた。向こうの席に座る客がこの頭を見てぎょっとする様も、もうすっかり”いつものこと”だ。嫌な順応かもしれないが、かつて自分の出生について苛まれたときのような苦悩や動揺もない。ただ自他の間にある薄い透明な膜状の壁の存在を思い知るだけ。
 体表に顕れた異端の象徴。隠すことも出来やしない。真の意味でのはみだし者だ。
 
「しかしまあ、何というか。同じ顔の男が老人のように真白の頭をしてるとか。面妖というより、もはや人知を超えた怪異だな」

 触れようと伸ばされる指を手で払い除け、押し黙ったまま眼光鋭く目の前の男を射すくめる。すると彼は諦めて、手に取ったティースプーンで行儀悪くこちらの頭部を指差した。
 
「君のその頭を見た通行人は老者か幽霊かと勘違いするだろうけど、違うんだよなあ。全くの大外れだ。鬼の正体は日本に漂流してきた西洋人という説もある。だけどね、今の君は眉目秀麗なソレのようだが、俺の目には墓から這い出した亡者、或いは外気に晒されたての真っ新な赤子にすら見える。いやはや、奇妙奇天烈。世の神秘に化かされた心地すら覚えるよ。
 なあ、俺の言いたいことが判る?つまり君は一度死んだんだ。命も記憶も地続きの生だが、そういう理屈の話をしてるわけじゃあない。いいか?かつての君は殺され、脱皮するが如く生まれ変わってしまったんだよ。あの大江島で」

 突き出された銀の匙の背に映り込む、白髪の男の小さな投影を視認した。氷と等しく冷徹で、鏡面を内から砕いて掴みかかってくるのではないかと勘違いするほど鋭利な殺気を放つ――酷く素気無い、歪な像。
 まるで檻に仕舞われた見世物の人外だ。好奇心で近づく者に爪を立て、己を取り巻く環境を害するすべてを排除し尽くさんと暴れ狂う鬼のよう。
 小さな鏡を過ぎた奥の、もう一人のよく似た姿を無言で睨みつける。特に沸いた感情こそ無かったが、不躾な行為を咎めるために目で直接訴えた。自分は観賞物でもなければ、あなたに飼われた覚えもない。
 視線の意図に気付いた彼は、悪ふざけが過ぎたと言わんばかりに肩を竦めて匙を引っ込む。こちらが放つ棘を笑って受け流し、話題をそのまま継続させた。
 
「そう凄むなよ。怖くてひとりで眠れなくなっちゃいそうだ。それとも汐留くんにやってあげてるみたいに、俺にも添い寝してくれたりするの?
 ちなみにだ、島の件でこっちを恨むのはお門違いだからな?確かに君は俺の身代わりだった。そして運悪く裁きか悪霊かに遭遇して、髪の色が白く抜けるほど身の毛がよだつ陰惨な体験をした。けれど君は本来招かれざる客人、つまりは俺の代理参列だったから命だけは助かったってオチなんだ。依頼を引き受けたのを悔やむのは勝手だけど、決断したのは君自身だ。そういう風に割り切って欲しいよ。
 何、世界中の全てが君を疎もうが、俺だけは君に愛を分ける心算ではいる。むしろそうなってくれた方が願ったり叶ったりだったんだが――いやあ、残念。現実ってやつは中々理想通りにはならないものだ、ホントクソだなぁ!まさか先着一名の君からの愛が、たった数週間の内にもう予約済みだなんてさ!」

 段々と語気を強め、独りよがりな悪態を吐く男に対し、冷然と沈黙を貫く。彼は陽炎の如く揺らめく瞳孔を隠すように伏せ、嘆息し、小さく独り言ち始める。
 
「……嫌になっちゃうよ。寝耳に水とはまさにこのことだね。そりゃあ俺は舞台に上がれなかった脇役だよ?でも裏方、装置の役割はちゃんと果たしたろ?言うなれば影の功労者だ。ところがどうした、そんな端役に支払う報酬はびた一文も無いだって?一体またどういう了見だ、こんな馬鹿な結末が許されて良いのか?」

 ……。
 それこそ知ったことか。
 一体何がしたいんだ?世間話とすら言えない。一方的な説法と、矛先定まらぬ無価値な罵言を聞かせるためだけに、自分をわざわざ平塚から横浜まで無駄に誘って、貴重な休日の浪費をさせたというわけか?
 傍迷惑を過ぎて、もはや目の前の男のことなどどうでもよくなってきた。ここまでの長い足労の対価に勘定を押し付けて、さっさと店を出てしまおうか。
 そう考えていると、彼ははっと我に返り、自嘲気味に小さく息を漏らす。先程までの浮かされたような顰め面を心内に引っ込めて、今度は申し訳なさそうな表情を装い、猫撫で声でこちらの機嫌を取り始める。
 
「ごめんごめん。愚痴をぶつけるために呼んだわけじゃないんだ。白状すると、特段用があるってわけでもない。ただ定期的に、無性に君に会いたくなるんだよ。かわいい戯れなんだと諦めてほしい。弁明するなら、君と腹を割って、もっと深く仲良くなりたいってのが本心なんだ。でも俺だって人間だ。たまには遺憾の意のひとつくらい表したくもなる。本当にごめんね、俺の顔に免じて許して。
 ……ハア、しかし思い返してみてもだ。こんな理不尽で不公平な話がある?なけなしのおひねりくらい、恵んでくれたってバチは当たらないはずなんだけどね。そうは思わないか?兄弟」

 おどけながら片目をまばたかせ、合図を送ってくる男の厭な眼差しを適当にあしらう。
 あの双眸の奥で燻る浅ましい情欲の焔を感じ取る度、彼の執着とも呼べる狂愛にうんざりしてやまない。その対象が自分である事実に対する生理的嫌悪と、この男もまた自分の鏡像に足りうる存在かもしれぬという同族嫌悪。
 混じり合う二種の不快感を、一口の珈琲に溶かして胃の奥へと流し込む。
 
「何も得られぬままに、命を対価として支払った他の参列者たちを前にしても、同じ台詞を言えますか」
「へえ?まさか今の君の口からそんな白々しい台詞が聞けるなんて。今日はとてもよく晴れているけど、夜には大雪が降るかもな。
 逆に聞くけど、どうして会ったこともない、赤の他人の末路に胸を痛める必要がある?愛は有り余っちゃあいるが、安売りはしてないぞ。何せ見返りがないんだから。君が望むなら同情の一欠片くらいはくれてやっても良い。だけど彼らはもう死んでいる。悼みや配慮なんて何の慰めにもならないし、いっそ愚弄だ、死体蹴りだと捉えられかねない。そもそも上辺だけの手向けなんざ、むしろあっちからお断りだろうな。俺には判るとも、死人に口は無いけどね。アハハ」

 先程からひっきりなしに語り続けるあの五月蠅い口を、針できつく縫ってしまいたい。汐留さんがこの場に居たら、彼特有の支離滅裂さで話に割って入ってくれるだろうに。
 男の戯言を右から左に聞き流し、事務所に積んである書類の山や、汐留さんの通る声に想いを馳せ始める。一々相手にするより余程有意義な時間の費やし方だ。
 しかし今日はいつにも増して深々とした冷え込みだ。寝かせたままとはいえ、部屋を出る前の汐留さんは裸だったはず。あれでは風邪を引いて駄目になってしまうかもしれない。毛布を一枚、大家から借りて上からかけてやるべきだった。自分の失念だ。
 
「なあ、あれから三年以上も経ったんだ。この瞬きの間に日本も少しずつ変化している。つい先日なんて噂の東京タワーが完成したばかりじゃないか。君はもう実物を間近で見た?広告まみれの小冊子には『塔は純国産の資材と技術と労力をもって独力で建設した、世界一の自立鉄塔である』なんて書かれていたけど――あれは既存の外国の塔を真似て日本のデザイン要素をねじ込んだ、いわば模造品だ。勿論技術の進歩は素晴らしいよ?元のヤツよりも高く作ってるし、存在感はあるからウケは良いだろうね。暫くは流行るかも。でもさ、それってどこか図々しいっていうか……言い方は悪いけど恥知らずだよね。原点を忘れるなよって俺は思うな。
 ……話が逸れたね。戻そうか。さっきの君の、心の籠ってないうわ言に俺が返したい内容ってのは、所詮十数日ぽっちの縁でしかなかった当時の参列者たちのことなんていつまでも気にかけるなよってことなんだ。頭どころか顔まで老けるぞ?というか、このままだと鏡を見るみたいに俺まで生気を吸われちゃいそうだ。この歳で皺でも出来たらどう責任を取ってくれるんだ?仏頂面に辛気の漆で上塗りしたような、景気の悪い顔はもうやめてくれよ。
 それよりさ、俺はもっと有意義なことに価値を見出すべきだと思うな。ねえ、外国の教えで、こういうありがたい一節があるのを君は知ってる?
 ――『古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった!』……ってね」


 凛とした引力が、余所に飛ばしていた思考を強引に現実へと引き戻す。
 輪郭を失った長たらしい雑音の羅列。そこに紛れたある一節のみが鐘の音の如く心臓を震わした。
 自分にとっては明るくない分野からの引用のようだが、その響きは今の自分への称賛めいた……無視できぬ温かな、けれど耳障りな喝采にさえ聞こえたのだ。
 脈拍の早まりを感じ取る。この男の軽口にすっかり調子を乱されたのかもしれない。一度自覚してしまえば一気に疲労感が全身を支配する。唇を動かすことでさえ、鉛のように重い気すらし始めた。
 こちらの関心が戻った事を察した相手は、得意気に鼻で笑い、身勝手な高説を再開させる。
  
「俺にも君にも関係の無い宗派だけどね。一応知識程度に身に着けた教養のひとつだ。でもさ、いかに高潔な啓示でも解釈は人それぞれ勝手に出来ちゃうわけだから、全く人間ってやつはどこの国でも、どんな出生でも罪深い生き物だね。結局皆同じなんだ。君もそう思わない?」

 男は諭すように語りかける。もはや隠そうともしていない。
 彼はこの自分を、呑み下そうと欲している。
 
「要するに。大江島の一件も、罪状も何もかも、全て終わったことだ。その過程によって刷新され、出来上がったのが今の真白な君なわけなんだから、その珍妙な風貌とどう折り合いをつけていくか……つまりは人の社会への心の順応にこそ目を向けるべきだと……心配性な兄はそう助言したいわけだよ。そしてたまに、君にとって本当に大事だったことを思い返して、成長を噛み締めるくらいが丁度いい。
 ……そうさ。今の君は、前と同じくらいには痛々しいよ。君なりの歩き方を覚えたその足が愛おしくて、囲いたくなっちゃうほどに。麻痺だなんてかわいいものじゃない。積み重ねてきたもの、大事な一部を喪ったせいで、君はいつかの君自身を省みて、悲しむことすらできないんだ。これって凄く不幸なことなのかな、むしろ幸せなことなのかな?」

 紅く細められた双子の月が嗤っている。同情と憐憫と、出しゃばった愛を、天からこの身へ注いでいる。
 ……ああ、厭な光だ。あれはいらない、欲しくない。
 
「なあ、この教示の意味だって、聡明な君にはちゃんと理解できるはずだろ?それとも何?俺、間違ったことを言ってる?」


 一際重い静寂だった。
 お互い目を逸らさず、相手の口から次の応酬が紡がれるのを待つ。根比べともいえる。
 向かい合わせの彼の実態。直感が告げてきた薄気味の悪さ。自分の目には見え透けの光沢で人を惑わす、悪意に充ちた暗赤色の宝石としか思えなかった。その結晶を跡形もなく砕くという望みが叶うなら、この心はきっと痛快という感情を獲得できるに違いない。
 けれど今はまだ。目の前の男を、見逃しても構わないと捨て置くことを許容できる。
 ……長い勝負だ。決着の時は訪れるのだろうか。
 このまま見つめ合うのも気色が悪い。今回限りは譲ってやる。
 
「……あなたの言葉のいくつかは為になりましたが、過ぎた戯れもそこまでです。満足しましたか」 
 意を決して膠着を破った。突き放そうと低く、はっきりとした声色で。 
「俺が君の何を楽しんでいるって?」 
 あっけらかんと男は返した。間延びさせた口調と、挑発的な眼差しで。
  
「この一件にのみ関しては、あなたはこちらをよく理解しているはずです。過去への憂慮の有無も、現状に対しての自分の所感も。この白髪の男の底意を識った上で、あなたはあえて見当違いな意見を織り交ぜている。違いますか」
「及第点だ。勿論判ってる。君は君だよ。もう“君”でしかないんだ、いちいちくどいんだよ知ったことかって、そう言いたいわけだろ?でもお世辞の裏にある俺の真意を、君だってそれなりに理解できているわけなんだから。これはもう両想いってことで良いね。今回の逢瀬でまたひとつ仲良くなれたというわけだ。
 ……しかしまあ。昔を知っているからこそ余計に笑えるよ。本当に君は、薄皮一枚、最低限の人間らしさだけを好んで着飾るつまらない男になっちゃったなぁ。まあ、君がそれでいいなら良いことなんじゃない?肌に合わない道徳に被れすぎて、あれこれ考えちゃって雁字搦めになるよりかはよっぽど賢い生き方かもね。君を苛み続けた思い出の多くにも不感症になっちゃったんだろ?むしろせいせいしたんじゃないの?」


 ……これ以上、御託に付き合ってやる義理はない。別れの挨拶を掛ける気すら失せていた。
 口を閉ざしたまま席を立ち、冷ややかに相手を一瞥してその場を離れる。歩を進めながら白の外衣を羽織る。淡々と、何事もなかったかのように。

「大崎くん。餞別だ。親愛なる兄として、ありがたい忠言を贈ってあげよう。いいか?柄にもなく声を張り上げているんだから、無視なんてせずにちゃんとよく聞いてくれよ?」

 背後から掛けられた声はやけに通って聞こえた。普段の軽薄さが隠れた、重みのある含んだ声色だったからなのかもしれない。けれど引き留めるには何もかもが遅すぎる。彼は既に、自分の興味の対象から外れていた。

「今の君が赤子であれ老いぼれであれ何であれ、関係ないよ。全てが古くなり、そして新しくなる。要は君の魂ってやつが、彷徨った果てにどこに留まりたいと望んでいるか、本能の欲求に従うか……それとも抗うかの問題なんだ。
 けれどな、例え君がどんな決断を下そうとも、どんな姿に成り果てようとも俺は君が好きだよ。もしもその見た目通りの悪性を飼い慣らせなくなったなら、いつでも俺を頼ると良い。なにせ俺の愛は君のために余しているくらいだからな!」

 店内に響き渡る男の言葉の一切に、振り返ることは一度もなかった。
 自分の勘定のみを済ませて店外に出る。ドアチャイムが軽やかに鳴り渡った。扉を閉めると先程までの気障りな五月蠅さはどこへやら、程よい喧騒が一本の街路を突き抜けるようにして広がってくる。
 吐いた息が白い蒸気をかたどって、大気にじわりと馴染んで溶けていく。室内だからと外していた、未だに手に握りしめている鹿撃ち帽を被り直そうとして――ドンッ、股下に薄黒い塊が、勢いをつけてぶつかってきた。
 その正体を確認しようと顔を俯かすと、脚に絡みつくように外套を掴んだ、黒いおさげの小さな少女がこちらをじいっと見上げている。
 薄墨色の上着に良く映える、二羽の蝶結びの蜜柑色。少女はきょとんと、幼児特有の思考の読めぬ、虚空を見つめるようなあの独特な表情を丸く浮かべる。つぶらで大きな両目をいっぱいに開けて、一言も発さぬままこちらの容貌を観察していた。
 迷子だろうか。泣かれては困る。こちらの戸惑いなど存ぜぬ少女は、何かに触れようと腕を大きく上へ伸ばし始める。その真意を訊ねようとした直後に、少女の腕を慌てて掴む大人の手が視界に飛び込んできた。品の良い衣服を身に纏った、自分と同じくらいの年齢と思われる女性だった。二人はとてもよく似た顔立ちで、それを推定した自分は眉一つ動かさず、ああ、親子なのかと、心の中で呟いた。
 母親はこちらを見遣ると数秒、時を忘れたかのように停止した。肌寒さからか、頬をより一層赤らめた。次の瞬間には何を感じ取ったのか、下るように色を失った首を縮めて、強引に我が子を引っ張って駆けだしていった。
 少女は手を引かれ連れ去られていくも、丸みを帯びたあどけない顔だけはずっとこちらを向いたまま。終いに彼女は満面に笑みを咲かせ、この自分の頭を指差して無邪気な声を張り上げる。

「ママ!あのおじちゃんの白い髪、夕日のオレンジと混ざってきらきらしててきれいだったの!でも何であんなに怖い顔してるの?笑った方が楽しいのに!すごくきれいなひとなのに!」

 ……幼子というものは本来あのように純真無垢で、目に映る色鮮やかなまやかしのすべてを善だと信じ込み、その閉じた夢の内で世界を完結させているのかもしれない。
 それにしても、子供の発する声はどうしてあんなにも場に響き、波紋を広げるかのような強大な力を有しているのだろう?少女の疑問は周囲の注意を、この自分のいる方へと集中させた。数多に向けられる好奇の目が鬱陶しいが、状況がこうなってしまったのならばもう致し方のないことだ。お構いなしに帽子を被り、遠ざかる少女の姿を淡白に見送る。
 父親の下に着くと、少女はようやく顔を彼らに向けた。嬉しそうにはにかんで両親の間に割り込み、両手を繋いで日の沈む方向へと去っていく。三人の横顔はとても幸せそうで――あの子はきっと、正しい経緯で産まれた生命なのだろうと、察するには一目見るだけで充分だった。
 
 抜けるように通った一本の長い街路を、射し込む冬茜が染めていた。西の空は鮮烈な黄と深い黒、そして眩くも重い、煌めきを放つ橙色で満ちている。
 ……無性に煙草を吸いたくなって、常備していたゴールデンバットを咥えた。そして先端に点けようした火を――ただの思い付きだった――発光する夕陽に重ね合わせて、何をするでもなくぼんやりと眺めてみる。手前の炎の揺らめきが奥の太陽を飲み込んだかと思えば、水面のような外周の夕暮れ色にじわりと包まれ、やがて視界に映るすべてがすっかり調和し溶け合ってゆく。
 ぼやけた色の数々が一体化する様を上の空で見つめていると、真正面から、強く頬を刺す風が音を立てて駆け抜けた。弱い衝撃と共に、足下が崩れて不安定になったかのような、或いは琥珀色の白昼夢に溺れたような、そんな奇妙な心地に堕ちてゆく。
 あの緋の夕焼け空が、とても大きな炎の塊の幻影に姿を変えて、意識の手を母のように優しく引く……下へ下へ、疾うに喪われた、昔日の舞台へ。
 
 誘われた脳底には先着がいた。
 ……違う。『彼』こそが、この古びた記憶の箱庭の正しき所有者なのだ。自分と全くの鏡写しなのに、対照的な黒い髪と喪衣。今もなお追憶に留まり続けるその後ろ姿は黙りこくったまま、抱えた悔恨と煩慮を肌見離さぬまま沈痛に佇んでいる。
 ――蔵で蹲る祖母の最期。平塚の大空襲。大江島に関する追想の断片。
 眼前で蘇る回想の一切を、他人事のようにしか思えない自分。傍らの男から古い写真の数々を指差され、この胸元に押し付けられているみたいだ。前世の記憶という、欠片も面白みのない表現がしっくり来る。
 
 橙色は生命を想像させる色だと思う。炎のように。正しく産まれた、先程の朗らかな少女のように。
 黒もそうだ。烏や黒猫のような不吉の印象が付きまとうが、喪服を考えると、あれこそ生者に許された特権色な気さえしてくる。
 一方の白は。この頭と同じ色の、死装束を連想させた。灰白色も同じだ。骨や灰、遺された残骸を――……
 
 意識を遠くにやってから、どれほどの時間が経過したのか。夕陽は今なお沈んでいるが、天は暗く、厚い雲で覆われ始めている。これから雪が落ちてくるかもしれない。
 ……この心はひどく静かで、ひとつの波なども立てていないはずなのに、何故膚はざわざわと火照り、音無き声を上げているのだろう。
 須賀の二階屋の一室が恋しい。自分の帰りを待つあの青年の顔を見たい。穢れた悪性と狂気で溢れた、童心と奇抜の皮を被った彼の姿を。土産を買えば喜んでくれるだろうか。いつものように戯れ付く口を叩きながら、見てるこちらの気が抜けるような、脱力した柔らかい笑みを返してくれるだろうか?

 仄かな温もりを有する想像を巡らせながら、表情は変えずに淡々と帽子を被り直す。行きの道よりも深く、深く。
 ゴールデンバットの先端に、今度こそはと灯された火。
 くゆる煙も、吐かれる息も。己から外へ漏れる白に宿る臭気が、やけに鼻につく。
 煙草を持つ側に嵌めた黒い手袋で握り潰すも、掴めるはずなどない。
 無情だ。こんなものか。くさりながら、帰路を辿る足取りを急がせた。
 
 ――ああ、疲れた。早く帰りたい。

 







「あー!大崎さんやっと帰ってきた!遅すぎー!起きたら太陽もう傾いてるし、超寒いし、部屋にはだーれも居ないんだもん。酷いなー!あなたの汐留道雄を置き去りにして、そんな早くから一体どこ行ってたんです?」

 上る階段の軋む音をかき消す程の声量が耳に届く。
 一年前に主が去った隣室は今、共に生活を送る彼が倉庫代わりに借りている。故に二階を訪れる人間は限られており、足音の重さで判別がつくのは想像に難くない。出先に関しては大家には伝えておいたので、やはり彼は一階に降りることなく、自分の帰宅の時を今か今かと待ちくたびれていたようだ。
 自室の襖を開くと、素脚を晒したまま布団を被り横向きに寝転ぶ汐留さんの姿がそこにはあった。天井の照明は点けておらず、机のライトのみが室内を照らしている。彼が片手で雑に広げる一冊の本――先月自分が読んだ新刊『ブラウン神父の童心』に目が留まる。どうやら退屈を紛らわしていたようだ。
 ……以前は箪笥と机、数着の衣類しか無かった殺風景な部屋だったが、すっかり騒がしくなったものだ。床に散乱する本、教材、資料。これらはほぼ全て、卒業する前から汐留さんが持ち運んだ私物の山だ。一時期は本当に酷い有様だったが、彼が須賀に引っ越してきてからは多少ましになった。そうして今では二人で、この自分の方の一室を生活空間としている。
 灯りはそのままに、真っ先に鹿撃ち帽を、次に外套、最後に手袋を身から外す。ぱらぱらと、玄関先では払いきれなかった粉雪が畳に落ちて小さな染みを作る。
 一息ついてから汐留さんに向けて「ただいま戻りました」と告げると、明るい声で「おかえりなさーい」と返してくれた。

「自分が発ったのは昼頃です。あの男に呼ばれてしまったので、一応向かった次第です。……遅い時間ではありましたが、よく眠っていましたので無理には起こしませんでした。気分はどうですか、優れていますか」
「あー、静馬さんかー。そりゃ行かないと駄目なわけだ。お疲れさまでーす。……ん、気分の方です?勿論!すげーだるいしどこもかしこも超痛ーい。飯食ってないし、体に力が入りませーん。大崎さん助けてー」
「シウマイ弁当を買ってきました。土産の菓子もあります。食べられますか」
「流石大崎さん!気が利く上に太っ腹!大家さんから声かけられねえし、今日飯抜きかと思ってたところなんです〜」
「今食べますか」
「食います!今すぐ!ほらほら、そんなとこ突っ立ってないで早く早く~」

 招く声に素直に応じる。こちらを転ばせてやろうと悪戯に絡みつく腕を、踏まぬよう気を付けて避けた。
 出掛ける前に大家に声を掛け、二人分の食事の準備を断っておいたのは正解だった。昨夜の疲労と色気を未だに帯びる汐留さんの姿を、誰にも見せたくなかったのが最大の理由だが……喜んでくれたのならそれでいい。大家の負担も減る。一石二鳥だ。
 もそもそと布団から這い出る彼が着用している、一回り大きい上衣はこの自分のものだった。下着は履いているが、爪先から股に至るまで残された鬱血の痣の数々が痛々しい。けれどこちらの服の下に刻まれた歯形や引っ掻き傷もいい勝負だ。お互い様ということだろう。
 それにしても薄着すぎる。冷えないのだろうか。
 
「そのように脚を晒したままでは風邪を引きますよ」
「ん〜そりゃ寒いけど……面倒だしまあいっかって感じでーす。……あ、もしかして目のやり場に困ってる?大崎さんって性欲無さげなお澄まし顔のくせに、いざヤるとケダモノだからなぁ~。そもそも成人した男の裸に発情してる時点で感性ズレてますけどね。衆道じゃないんだから」
「そのままの言葉をお返しします。いいように扱われて、あんなによがっているのは何処の誰でしょう」
「へー!そんなこと云っちゃうんだ?もしかして一本取ったって勘違いしてます?あのですね、俺は別に良いんですよ。受け手だから。反応的性欲ってやつ。凶暴なデカいのぶら下げて、あれやこれやしてるのはそっちじゃん。あなたの方が変ですからね、頭おかしいんですからねー。俺まであなたと同列にしないでくださーい」
「ではもう止めますか、あのような行為は」
「それはヤダ。極端すぎ。意地悪な大崎さんはホント嫌ーい。ていうか出来もしない、実行する気すら更々ないことを軽率に云うの、いい加減やめたらどうです?俺より三つも上のくせに、子供の癇癪みたいでウケますよ。そもそもそういうのってむしろ俺の特権じゃない?
 ……って、あーっ!この人知らんぷりしてる!?無視とかズルくない!?ねーねー、ねーってばー!俺に言われるって相当ですよ?重症ですよ?堕落ですよー!?判ってますかー?」
 
 抗議の声をぼんやりと受け流しながら、手に提げていた弁当を取り出す。二つの包みを窓際の文机の上に置き、詰めるように並んで座る。自分はこれでも構わなかったが「流石に窮屈過ぎません?脚も腕もガンガンぶつかるじゃん」という汐留さんの正論に従って、膝元に弁当を広げて向かい合わせる形に落ち着いた。確かに、この方が彼の姿を観察しながら食事が出来る。今日は特にそうしたい情緒なので都合が良い。
 箸を進めながら他愛もない雑談をした。とはいっても口を開くのは主に汐留さんだ。話題は専ら先程まで彼が読んでいた小説の内容で、収録されていた短編の一つ一つの感想を、独特の語彙を披露しながら誇張して述べていた。けれどその内の一作に対しては妙に辛辣な意見を漏らした。曰く「死体を隠すために死体の山を作るなんて手間すぎません?やるならもっと上手く!自然に溶け込んで周りの信頼を勝ち取らないと!」とのこと。思うところは多々あったが、汐留さんらしい考えだとも納得できる。
 このまま次の一篇について触れるとばかり思っていた矢先に、汐留さんが、箸を止めた。

「あのあのー大崎さん。質問いいですか?」 

 学生時代と変わらぬ様子の、好奇心旺盛な若者の振る舞いだった。かつてのお斎で坊主に質疑した時と同じ朗らかな物言いだ。
 
「はい、何でしょう」

 その声遣いがいつものままの様子だったので、先に読了した自分の見解でも伺いたいのだとばかり思っていた。感受性豊かで学者気質な彼の癖であると。
 油断かもしれない。とてつもない、勘違いをしていたのだ。
 
「何でさっきからずっと怒ってんの?折角美味い飯なのに、あなたの不機嫌ムカムカ~って雰囲気のせいで味が台無し。隠すならもっと上手くやってほしいです」
 
 ……。
 先程までの和やかな談笑が、音を立ててひび割れた。
 汐留さんの鋭い指摘の咀嚼を、停止した脳が試みる。そしてやっと、自分が妄信した閉塞な安らぎという幻想を、一方的に汐留さんに押し付け、お為ごかしの茶番に付き合わせてしまっていたのだと理解した。
 咄嗟にその場をしのごうとしたが、彷徨わせてしまった視線がすべて物語ったという事実を自覚する。明敏な彼を欺くのは困難だ。
 口を覆った掌の隙間から降参を告げるため息が漏れた。大変な失礼を、してしまった。

「……出ていましたか、顔に」
「表情変わんなくてもな~。ピリピリしてる人って空気だけで分かっちゃうといいますか。むしゃくしゃした胃ン中見て見ぬふりなの、最初っからバレバレ。やだなぁー、飯の時間に空気壊す人って何なんですかね。最低だと思いません?」
「……。すみません」
「はぁー。そんなしょぼくれないでくださいよ。俺が悪者みたいじゃん。
 で、一体何があったんです?面倒臭いけど、今日よっぽどみたいなんで。俺で良ければ話聞いてあげますよ。食いながらテキトーに」

 それは思いがけない提案だった。叱られているはずのこちらが呆気に取られるくらいには。
 汐留さんらしくない落ち着きだ……一体どうしたのだろう?てっきり自分は彼が立腹して、攻撃的な罵声で猛追するとばかり身構えていたのだ。
 何だか不気味でならないが、平静を装って会話を再開させる。

「……食事が、より不味くなるのではないですか」
「残りちょっとだしもう今更じゃん。代わりにまた今度、もっと高くて美味いの買ってきてください。肉が良いです!今回は特別にそれでチャラにしてあげます。すげー、俺滅茶苦茶優しいー」
「しかし……」
「あーもう五月蠅いな~。本当に何ー?その辺の迷子の方がもう少し利口ですよ?ひょっとすると赤ん坊にも劣るかもってくらい、今の大崎さんすげーガキっぽい」
「……赤ん坊……」
「良い得て妙じゃん。胸っていうか、乳首好きそうですもんね、大崎さんって」
 
 ……。……待て。今、何と言った?聞き違いで合っているか?
 こちらからすると場の空気が一段と凍えた心地だが、汐留さんはどこ吹く風だ。胡座のまま行儀悪く箸を咥え、菓子折りの包装をびりびりと、両手で雑に開けている。細かな紙片の雪が空に舞った。

「……話を、戻しても良いですか」
「そもそも逸れたのはそっちが頑固だからじゃーん。俺全然悪くありませーん」
「……。ひとまず、先程の汐留さんの発言については後日改めて。色々と不本意な誤解が生じているようですから」
「安心してください!誤解なんてこれっぽっちもしてません!それでも議論するっていうなら返り討ちにしてやりますよ~。俺の方が正しいし、知識量と大声だったら絶対負けないから。あ、でも大崎さんは脳味噌使っちゃ駄目だからね。探偵やってるときのあなた、理詰めエグくて責められてる側はビビります。俺に不利だもん、古傷疼くから……、……今のナシ。うっかりです。……ごめんってばー!そんなカッカカッカ、死んじゃった方の大崎さん相手に嫉妬しないでくださいよ!」
「決まりですね。次の同衾の最中がいいですか」
「うー!この人、心の傷の上から更にエグい傷を刻むつもりだ!もうこの世に居ない人と張り合ってきた!大人気ない大人だー!」
「自分はどうやら聞かぬ赤子らしいので」
「だからそういう根に持つところがガキっぽいんだって言ってんじゃんー!
 はあ……埒あかねえや。つまんない。もうこの討論終わり。閉廷!とっとと本題入ってどうぞー」

 汐留さんは涙目を引っ込めると、呆れ顔をこれでもかと表に出し、すいーっと手のひらを横凪に動かす。決着はまだ着いていないが、執拗に迫って不貞腐れても困る。次回へ持ち越すことにしよう。
 ほんの少しの間だけ、汐留さんとの舌戦の余韻に浸った。日中の疲労感とは大違いだ。膝の上で緩く握った指が小さく震える。この一瞬が続いてほしいと願いそうになるが、火種にも似た苛立ちに巻き込んでしまった彼へ、自分は償わねばならない。酷い迷惑をかけた。余計な不安を抱かさせてしまったとも。
 腹を括る頃合いだ。深々と頭を下げて、話を切り出すことにした。

「先程の非礼も含めて、長い話になってしまうことを詫びておきます。自分でも話しながら整理したいのです。汐留さんを付き合わせてしまい、申し訳ありません。
 そうですね。今日の、あの男との対話の内容から――」
 

 
「ふーん、成程なー。大崎さんがムカムカしてた理由って、結局他人でしかない無神経な人たちからああだこうだ言われて、繊細な心を踏み荒らされちゃったからなんですね~。加えてきっかけがあの静馬さん。しかも何やら感銘受けちゃうお言葉まで貰っちゃったせいで頭ぐっちゃぐちゃ。感傷的。
 結論!大崎さんは周りが思っている程、人非人でもなけりゃあ傷付かないわけでもない!要は過敏になっちゃったってわけです!ハイ終了!ごちそうさまでしたー!」

 ……このように。息が詰まるほど重く長い自分の打ち明け話を、汐留さんは特に思い煩う素振りも見せず、能天気に総括した。しかも本当に夕飯どころか、土産の菓子を一人で全部平らげながら。
 彼のいい加減な一面自体は把握している。しかしあまりにも安直な返答ではないかと、流石の自分でも困惑した。要は、納得できていないのだ。
 この心境を例えるなら、探偵小説で殺人が発生した後、捜査や糾弾の展開をすっ飛ばして容疑者が逮捕される頁を直接読むかのような、行間と途中経過を削ぎ落すことによって生じた不自然な空白だ。大きく虚ろな穴ともいえる。その底にこそ、自分が求める真相がある。

「……そんなに、簡単な話なのでしょうか」
「そういう単純な話にしといた方が良い、そんな深刻な問題だと思いますよ。考えすぎたらダメだ!最悪静馬さんを殺しかねない!って部類の。やるなら俺はそれでも構いませんけどね。全然手伝うし。でも俺、何だか大江島でとても大切なことを学んだ気がするんです。決行するなら綿密に、ちゃんと機をうかがわないと頓挫するって!……あ、勿論前世の話ですよ!そーそー、前世前世。もしくは気のせい」

 最初の二三言はこちらが追求した内容に関する返答だ。しかし彼はうっかり余計すぎる口を滑らせた。先程までのやり取りを踏まえると墓穴にも程がある。学習しないのか。
 冷や汗をかきながら口笛を吹く汐留さんに向けて、二重の不信を込めてもの言いたげな視線を送る。最初の内こそ知らぬ存ぜぬの素振りだったが、やがて緊張感に耐えかねたのか、唸りながら音を上げた。

「あーもう、何だよその目ー!何?もっとちゃんと答えて欲しいの?物好きだー、スキモノだー!ま、分からないことを突き止めたい!全貌を明かしたい!っていう感覚は俺にも理解出来ますからね。しょうがないなー。今回は特別に受講料タダで、この俺、汐留センセーが大崎さんにひとつ手ほどきをしてあげます!ちなみに専攻は全く別分野なんで無免許です。逮捕とかやめてくださいね〜」

 よほど重圧による気詰まりから脱却したかったのか、それとも不利な立場を有耶無耶にしたかったのか。汐留さんは半ばやけくそ気味に居直ると、イヒヒと笑いながら人差し指でこちらの額を小突く。優位性を主張したいのだろう。なんとも手前勝手だが別に構わない。とっくの昔に慣れている。

 滑稽な前置きが長く続いたが、こうして自分は汐留さんに導かれる形で、今この胸中を蝕む得体の知れない靄と対峙する道を選択したのだ。


「まず初めにですよ!前でも今でも、大崎さんにとって変わらない共通の要素ってやつが確かにあります。それは暴力に取り憑かれている、利己的で悪辣な本当の自分です」

 率直かつ瞭然たる事実だ。証明の必要すらない。この歪で真白の風柄が発露の象徴だ。
 頷きを返すと、汐留さんは腕を組んで天井を見上げる。彼は虚ろとも形容し難い丸い瞳で、ここではないずっと遠くを見つめていた。きっと潜っているのだ。朧げな記憶の水底へ、浮上するために沈んでいる。
 
「かつての大崎さんはそんな自分を拒絶して、記憶のずっと奥深くに抑えつけてきました。希薄になることで感覚鈍らせて、心を守ってたっぽいですが……大江島で、自分の醜悪さなんかよりもっと嫌なことをたっくさん経験して、最後にはコレが罰なんだって考えちゃった。クソ真面目すぎたんだろうな~、自分で自分を追い詰めるとかバカみたいですね。
 結局あの大崎さんも、人のためって言いながら、本当は自分のことばっかり考えてたんじゃないかな~と俺は思ってます。適応って我慢を強いられるけど、楽になる場合もそれなりにあるじゃん。だから献身することで嫌な自分から目を逸らしたかったのかも。あ!でも安寧を望んでたのは嘘じゃないと思いますよ!擦り切れてることすら自覚できない程度には、カンケー無い他所様の世界の歯車になってたんだから!自我を無くすことを自分に納得させるための自己犠牲ってやつですね!」

 そうだった、云われてみれば、あれはそういう男だったな。
 確かに似たような印象がある。けれどこうして汐留さんの口から聞くその生き様は、どうしても自分には選べない茨の道だ。
 何度も振り返りながら、それでも前を向こうと必死で足掻いた。己が間違っていると知っていたから、せめて正しくあろうと自戒した。痛みに気付いた時にはもう手遅れだ。誰も彼もあなたと同じで罪深い。それに保身を優先する勝手な人しかいないから、損ばかりを引き受ける。いつまでも置いてけぼりだ。待ってなどくれやしない。脆い心は自己と世界の両者から引き裂かれる。
 最悪なことに、そこまでの仕打ちを受けても、課した矛盾に気付けない――泣きたいと蹲る自我は、確かにあったと。
 足下の影に潜む、希死念慮で麻痺した恐怖。自責と他罰の間を綱渡る、見た目に反して酷く危うい男だった。
 
「だけど今の大崎さんは違います。恐怖で真っ白になったあの時に俺を通して本当の自分に向き合えて、今のあなたになる選択をした。その結果、醜い本性も蔑ろにしないし、むしろこれこそがあるがままの自分なんだな〜って受け入れた。ヒトの世界への諸々な後ろめたさも吹っ切れて、“人でなし“を隠すことをやめられた。あなたにとっては両手が届く範囲よりも外なんて関係ナシ!何も知らない人からすれば孤独に見えるかもしれないけど、その責任が気持ちいいんですよ!前みたいに寂しくない。だって心が自由だもん。
 でも、そんなあなたの生き方は世間一般とはちょっと感性が違います。だから周りが許してくれない。以前とは逆に、厄介なアレやソレや、イヤな役割や勝手な理想を無理くり押し付けられている感じです。物珍しい外見に見惚れて興味津々な人たちが勝手に向こうから寄ってきて、最後には……うわ怖!バケモノだ!こっちに来るな!出ていけー!……って。ガミガミズガガーッ!まずい!大崎さん包囲網です!」

 今の在り方は、自分ではよく判っていない。唯一判るのは、自分が自分でしかない、以前のようには振る舞えないという事実のみ。
 もはや別人だ。苦しかったのだろうあの過去たちが、自分が犯した手荷物だったとは信じ難い。無責任になった。薄情の恩知らずと祖母から罵られても言い返せない。けれどやはり、その罪業すら継いだ遺品としか思えない。大切な人ではあったし、現にそうであると識っているのに。あの女性が微笑みかけた相手が、この自分であると実感できない。
 汐留さんは今の自分こそが自由であると云った。けれどその分、新たな生きづらさも得た。特にこの髪は注目を浴びやすい。品川君からは、周囲の目を奪うから帽子を被るべきだと指摘された。そこから白い衣服を纏うようになった。
 けれど……その道を選択した理由は?自分は人の世に溶け込みたいとは思っていない。ならば何故、世間への譲歩を図る?どうしてかつてと似た手段を選んでいる?
 
「そういう野次馬だけならまだしも、よりにもよってわりと近くに、前のあなたの方が好きだったな〜って遠回しに訴え続ける人まで居る。そう、静馬さんです!今の大崎さんのこともちゃんと好きなんだろうけど……あの人も自分探しの真っ最中っぽいからなぁー。今のあなたを見てると色々複雑なんじゃないの?まあ、俺は知ったこっちゃないですけど!
 ともかく!大崎さんは無神経な外野から指差されて、責められてる気分になっちゃってるんですよ!今が一番自分を肯定できてるはずなのに、お前は何かの間違いだって蔑ろにされてる、成長そのものを否定されてる気がしちゃうんです。これが一番嫌なんでしょ?何故ならこの排斥って、以前の大崎さんの影がどうしても付き纏ってくるし、あなたを受け入れてくれた新木場さんたち、そして何より!この俺への否定にも繋がっちゃう!だから大崎さんは傷付いちゃう!
 真っ白な今の自分への悪口はいいけど、大切な人達を悪く云われるのは絶対ヤダ!普段は無視できても、俺たちの方を脅かしてくるなら話は別って思えてるでしょ?だって大崎さんってそういう人じゃん!愛を免罪符に暴走しちゃう野蛮人!」

 ……そうだ。その通りだ。
 自分が堪えているのは、暴力からの逃避でもなければ、知らぬ誰かの幸福を願っているからでもない。
 ただ、かけがえのないものたちを守るために、自分の世界を侵害する悪意を跳ね除けるために、耐えている。
 ようやくここまで辿り着けた。やっと真の意味で前を向けた。
 なのにそれは間違いだと云う。お前は模造品だと告げる、自分の鏡像が現れる。
 その膜の向こう側から、古びた写真を押し付けて、あなたが捨てられぬまま引き摺った愛を囁きかける。

「大崎さん!俺はあなたのこと全部は知らないです。なのでこれはあくまで俺から見た大崎さんの印象の総括です!
 昔のあなたは、”人ならこうあるべきだ”って道徳の枷を嵌める生き方をあなた自身に強いました。実態や過去の失敗、そういうのを振り返る度に苦しかったしずーっと独り。でも表面上はまあまあ皆と上手くやれちゃった。
 逆に今のあなたは”自分がどうしたいのか”を知って、自由と尊厳ってヤツを勝ち取りました。その代わり今まで頑張って請け負ってきた役割からはみ出ちゃったし、周りの目もガラッと変わりましたね。ほーんと、冷たい人ばっか。ひでー話。
 確かに最初に居た場所からはすげー遠いところまで来ちゃったし、振り返ることも出来なくなったけど。でもそれって仕方がないことじゃん。変わるには必要な対価だったということで。それに嫌なコトに縛られ続けるより、今を楽しく過ごせるなら一番ハッピーじゃないです?参列者たちを思い出してみてくださいよ!やらかしたことを忘れるって、実は滅茶苦茶難しいんですよ!
 うわー、こう分析してみると大崎さんって面倒すぎません?俺なんて見られる方が嬉しいのに。どうしてこんな真逆な人のこと好きになっちゃったんだろ?まあいいやー。というわけで!以上を踏まえて大崎さんに問題です!百点か零点かの究極問題!え?採点基準?そんなの俺が満足するかどうかに決まってんじゃん~」

 

「大崎さーん。あなたはだれになりたいの?今のあなた自身のこと、自信を持って、ちゃんと好きになれましたー?」


『依頼を引き受けたのを悔やむのは勝手だけど、決断したのは君自身だ』
『今の君は、前と同じくらいには痛々しいよ。君なりの歩き方を覚えたその足が愛おしくて、囲いたくなっちゃうほどに』
『本当に君は、薄皮一枚、最低限の人間らしさだけを好んで着飾るつまらない男になっちゃったなぁ』
 
 啓示に等しい清冽な問いの裏側で、あの男から注がれた音の羅列が木霊する。
 肌を蝕む濃霧と残響の中を、汐留さんという篝火を頼りに手探りで進んできた。
 悪意と慈悲の泥濘に足をとられながら、転ぶ度に両手をついて身体を支えて這う、厭になるほど長い路だった。
 その先にあったものは、胸に抱いた微かな期待を裏切った。否、そうじゃない。ここにこそ在る。求めていたものがある。なのに今の自分は立ち眩むほどの戸惑いを覚えて、盲になっているだけだ。
 五感が曖昧なまま、知覚した。自問の果てに、起源に至ったという確信を。
 自分が歩んだ、その経緯を引き返して、辿ってきたのだと。
 
 
 ……身の毛がよだつ陰惨な体験?生温い。そんな小綺麗にまとめられた推察を、断じて認めてなるものか。
 
 ――死体が腐敗する過程を知っているか。
 青白くなった肌の上にまだらな赤紫を蠢かせ、腹の内から自壊する様を知っているか。
 侵され融けてゆく臓器から口の外に漏れだす、あの穢らわしい悪臭を知っているか。
 この自分が産まれるに至る顛末は、生きたまま精神の肉が腐朽するに等しい、発狂の果ての破滅の底に在った。

『彼』の生は、己の内に飼う暴力と鬼に抗い続ける、過酷な忍耐の旅路だった。
 ――善人であれ。他者を守る己であれ。平和を願う、馬鹿な畜生であれ。
 人が作った倫理を、人のための世界を、幸福を。維持するために耐え忍ぶ『人でなし』であれ。
 たとえ自身があやかれぬとしても。それは当然のことなのだ。
 何故なら、顧みるべき自我など、ひとつもない。
『自分』こそがヴェラだ。重罪人のクレイソーン。「血も涙もない冷酷な犯罪者ほど、恐怖を長く味わって精神的に苦しむべきである」と、不条理な裁きの果てに自ら首を括った狂愛の愚者。
 ……そのように、自己の定義を固定して、愚直に信じ続けた黒髪の男は。
 一度目の生の終り……飛び立つ最期の瞬間に、何を想い、誰に向けて贖ったのだろう?
 
 罪業に対する罰の意識を自覚させ、死の渕まで追い込んだモノ。
『彼』をあの島に巣食う狂気の渦中へ、判決の舞台へと手を引いたのは、松明をかざした目の前の青年だった。
 嘲笑いながら嬲り、虐げ、気ままに弄ぶ。そうして食い散らかした魂の肉塊に火をつけて、遺灰の一握りを呑み下す悪魔の幻影。
 再び意識が浮上する直前に、パリンと、何かが割れる大きな音を聞いた気がする。
 初めて目を開き、認識した暗闇。射し込まれた昏い光彩に、産まれたての心は強く焦がれた。墓の下から、あの渦を巻く双つの太陽を掴みたくて、届きたくて……爛れた赤い掌を、懸命に空へ伸ばした。
 他の誰のものでもない、無論『彼』のものでもない、
 真白の自分の、初恋だった――……


「きらきらの銀ピカですねー」

 何も言葉を発せぬまま顔を伏せる自分。いつの間にか、この髪を指に絡めて楽しそうに遊ぶ、首をかしげた汐留さん。
 優しく触れたかと思えば、今度は力任せにぐいと引っ張る。けれど次の瞬間には手を離し、頭の両脇をぐちゃぐちゃと掻き撫でて……そして束にした髪をさらりとゆっくり落とし、空間を照らす光源に透かし始めた。
 
「ホントーに綺麗だよなぁ~。それに光と影が表情を変えて、コロコロぴょんぴょん跳ねてます!スゲー面白い!しらがっていうより、雪って喩える方が合ってません?純白で清浄そうに見えるのに、内側は汚いじゃないですか。それでも惹かれちゃう。冷たくて静かなのに生き生きしてる?……あ!ほら!今の大崎さんとそっくりだ!」

 小窓の外に張り付く数多の水滴と氷とが、飛白模様を織っている。
 汐留さんのよく通る声を吸いながら、ぼやけた霜の月を額に嵌め、澄んだ明かりを浮かべている。
 
「……にしても変なのー、とてもこの世のものとは思えません!だって普通、たった数日で頭ぜーんぶ真っ白になるなんて有り得ませんよ?古くから有る誇張表現ではありますが、現実じゃ絶対無理なんです。それこそ禿げになって、新しく生えてこない限り!
 じゃあ大崎さんは異星人?いや違いますね!俺からすれば、人鬼だけど真っ正直で素直なヒト、って感じ!だって前の大崎さんよりよっぽど人間味が判りやすいのに、皆あなたのこと怖がって避けちゃうから!うざったいですよねー。折角どうでもいいから見逃してあげてるのに、わざわざちょっかいかけてくるなよな~って感じでしょ?
 そう考えちゃう自分のこと、すげー傲慢だなって思いません?でもそれが正常ですよ!我慢しながら、好きでもない人たちに尽くす方が異常です。今みたいな心のままの身勝手さは、人間の在るべき姿です!等身大でキラキラしてます!
 どうどう?どうです?大崎さんから見てもちゃんと正解?試験なら満点貰える回答ですよね?流石!あの學國大学の首席だったのも伊達じゃないな〜!って俺のこと更に感心しません?」
 
 自分には見えない。鏡がない。想像できない。つかめない。こんなにも明確な答えを示してくれているのに。あなたが説明する、人らしさの煌めきを、解する心を持てていない。その目に映るこの姿が、果たして真に美しいものなのか、分からない。
 ただ、汐留さんの胸が躍っていることだけは理解できる。与えられた玩具を愛おしむ幼子の姿を象って、無邪気に頬を染めている――……。
 
「三回忌の頃みたいな叩けば楽しいムスッとした大崎さんも面白かったけど、俺、今のあなたが一番好きですよ」

 何の変哲もないと言わんばかりの、飾り気のない言葉。はっとして上げた視線の先の汐留さんは片目を瞑り、より高くにあるこの自分の髪の束に眺め入ったまま。よほど夢中なのだろう、無意識のうちに出した舌の裏をチラチラてからせていた。豊かな探求心を湛える学徒の姿。その仕草を見て、そうだった、この青年は熱心な研鑽の道を歩いていた人だったのだと、今更な事実を改めて認識した。
 やがてこちらの凝視の意図に気付いたのか、集中を切らした汐留さんは一転、決まりが悪そうにそっぽを向く。咎められた悪童みたいに。
 
「だって、大崎さんがそうなっちゃったのって一応俺のせいなんでしょ?ま、ひでー言い掛かりだなって正直思ってますけど。
 でもでも!考えてもみてくださいよ!大崎さんのその雪みたいな髪も、善い人ぶる意志すら喪われた剥き出しの魂も、業と暴力に由来する冷酷なツラも、奥が炎みたく真っ赤に揺らめいてるのに、凍っちゃってる昏い眼も!『あなた』の心がどうしようもなくなって、死んじゃうかもって状態を越えたその結果、出来上がっちゃったのがあなたなら!俺の行動が、存在が、かつての『あなた』を壊した元凶なら!
 それなら話は単純明快です!……つまり!大崎さんは俺のために変態した!大嫌いだった旧い自分からやっと抜け出せた!何故ならこの俺、汐留道雄と出逢えたから!ってことですよ!」

 屈託のない一輪の笑みだった。彼は導き出した結論に幸福を見出した。その花弁の一枚を裾分けるみたいに、真下から顔を覗き込む。
 様子を確認した汐留さんは、この髪から手を離すと、胡坐で交差させた足首の上にふたつを重ねる。そのままゆらゆらと体を左右に揺らし始めた。唄うように、口ずさみながら。
 
「そりゃあ、たまにキレて痛すぎることしてくるのはヤダけど……でも俺のこと、別に五月蝿くしなくたって、ちゃ~んと見てくれるじゃん。何があっても最後には俺を選んでくれる。俺を特別視してくれて、いっぱいいっぱい甘やかしてくれるんだから。
 ……ホント、大崎さんってば、内も外もおっかないくせに、一途で健気で、滅茶苦茶優しいよな~!バカだなー!頭が真っ白になっちゃうくらい怖くて痛くて苦しくて、死んじゃうかもって思いをたっくさんしたのに、よりにもよって俺に懐いちゃうなんてさー!
 だからこそ俺、そんな今の大崎さんが、滅茶苦茶大好き」

 そして彼は動きを止めた。刻む秒針が、意志を持って、この一瞬に留まった。
 
「大崎さんは違うの?俺と一緒じゃ、ない?」
 
 この問いかけの真意を自分はよく知っている。……違う。自分にしか、知り得ない。
 当時も似たようなものだった。彼は求めて、振る舞って、迷っていた。
 彼自身に注がれる目が欲しくて、甘えて、ぶつかって。しがみつける他者を、探していた。
 
「いま目の前にいるあなたは、俺だけの大崎さんですもんね?あなたの髪も肉も骨も、声も命も、それこそ魂だって、全部全部俺のものですよね?」

 爛々と潤む渦が、一本道の先に在った、寄る辺なく沈む冬茜を想起させる。
 あの夕陽が泣いている。風が小さな拳を握って、この心の臓を強く叩く。


「あなたもです」

 汐留さんの首に両手をかける。このまま痣が残るまで締めてしまいたいという欲を抑えて、加減して力を籠める。
 抵抗はなかった。殺すつもりなど無いと彼は識っているから。痛みを耐えているのだ。何故ならあなたは意外と一途で、健気で、従順な――
 
「あなたも、自分だけの汐留さんですよ。逃がしません。あなただけは、絶対に。この告白の真意を、汐留さん、あなたは決して、はき違えてはいけませんよ」

 ――この人鬼に捕らわれてしまった、愛しい贄なのだから。
『彼』が嫌悪していたはずの悪性。自分はこの衝動を選択した。肯定した。曝け出せる他者を得た。
 自分が振るう暴力が愛に由来すると、絶対悪ではないのだと。祝福を与えてくれたあなたが、この真白の胎であったから……。
 流石に苦しかったのだろう、汐留さんがトントンと制止する。離した首元にはうっすらと手形が残った。翼にも、或いは首輪にも見える。どちらにせよ、よく似合っている。
 彼は咳き込むと、愉快だと言わんばかりに大きく肩を震わした。そしてニヤリと片笑み、挑戦的な眼差しでこちらを直視する。
 
「いひひ!おっかねー。大丈夫ですよ、任せてくださーい。何なら証明してあげてもいいですよ。
 もしあなたが誰かを殺したくなったら、俺は喜んで共犯になってあげます。野蛮な獣性にも何だかんだで付き合ってあげましょう。ひでー暴力的な性交をしたくなったら、進んで処理を手伝ってあげますよ。その代わり気持ち良くはしてください。あと俺のことずっと見てて。おやすみなさいって毎晩言って。
 大崎さんが今より我儘になっちゃったら、俺も負けじともっといっぱい無茶ぶりします!まあ俺の方が要求通しまくるつもりですが。それこそ、今度はあなたを完食しちゃうかも?」
 
 真正面からしなだれて、上目遣いで甘える汐留さんを無言で見下ろす。衣越しに伝わる高い体温が心地良い。……汐留さんとの間にだけは、何の隔たりも感じない。
 彼の背に手を回して引き寄せた。その様相は、この胸に縫い留められた標本の蝶を彷彿とさせる。
 羽の色は、言葉にしなくても分かるだろう?
 
「ねえ大崎さん。今までの空気ぶっ壊すみたいで俺も気が引けるんですけど、大崎さんが帰ってきてからずっと、今のむしゃくしゃしてるあなたとすごくヤりたいなーって考えてたんです。ねー、良いでしょ?どんなことされても良い子にします!ちゃんと声抑えますから!
 だから無茶苦茶乱暴で、嫌なこと忘れられるくらい馬鹿になるような激しいまぐわいをたっくさんして、鬱憤ぜーんぶ俺の中に射精(だ)して、おやすみって囁いて……そのまま二人で朝までぐっすり眠っちゃいましょうよー」

 熱烈で煽情的な誘い文句だ。空間に堆積した闇を仄白く照らす灯りの下で、汐留さんの濃い影の層がはだけた。生じた衣擦れの音と共に舞い上がる粒子が乱反射し、翳りのゆらめきの中で瞬いている。その白い塵の海に浮かぶ黒子が、昂りから生じる涙を連想させた。
 この淫らな白昼夢に一刻も早く溺れてしまいたい。けれど、なけなしの理性が逸る欲心を制止する。ひとつ懸念すべきことがあるからだ。
 
「今日の自分はあなたをより暴力的に、この腕に閉じ込めたいと考えています。昨夜以上にです。今の汐留さんの体調では負担が大きいかと」
「えー?そんなの気にしなくていいのに。頭固いなー。今更紳士ぶるのアホくさいな〜って自分でも思いません?律儀?偽善者?バカ真面目?あなたもうそんなのじゃないでしょ、気持ち悪いので変な気の遣い方しないでくださーい」
「戻せぬ程に壊れて貰っては困るんです。直し方を知りませんから」
「うーわ!やっぱり俺を労わってるふりして超自分勝手じゃん!そうそうそれです、良い調子ですよ~。今の大崎さんにはそっちがお似合い。潔癖そうな面の中身は救いようのないほど醜いくらいで丁度良いんです!深みが出ます!
 俺、あなたのそんな一面を垣間見る度にすげー嬉しくなっちゃいます。だって軽蔑できるから。大崎さんってやっぱイカれてるな〜!って、何だか嗤えてくるというか、滅茶苦茶気分上がるんだよな〜!これっておかしいの?変です?俺のこと嫌いになっちゃって、見捨てたりなんて酷いことしない?」

 妖しい前歯をちらつかせて、悪態をつきながら巫山戯る様子がいじらしい。残酷で多感で聡明で、悪い子どもだ。向けられる愛情を確認したいあまりに、雑に絡んですぐに尋ねるところも。
 あやすように背を直に撫でる。たったそれだけで感じたのか、彼はぞくりとしならせて、白い胸をこちらに押し付けた。
 
「あなたのすべては判らずとも、離れるつもりはありません。嫌うことも、決して」

 望む通りの答えを返した。偽らざる本心だ。汐留さんは真正面から返事を受け取ると、湿る息を吐き出してイヒヒと笑う。その声が震えていたのはほんの僅かな時間だけ。彼はすぐに普段のような、わざとらしく大袈裟な色に調子を変える。
 
「そっかー!それもそうだよなー、大崎さん、俺のこと憎くて怖くて堪らないのに、好きで好きで仕方がないんですもんね!俺も大好きー。もし大崎さんが心変わりして逃げようなんてそぶりを見せたら、バケツ被せてキツ~く折檻ですからねー」
「ならば自分は、汐留さんが少しでも離れていこうとした場合、手始めにその両脚を折って部屋で飼うことにします。あなたは性交の際に静かになる傾向がありますが、帰る度に無理矢理喘がせて、いずれ喉から一滴の声も出せなくなるまで枯らしてあげましょう。『死ぬ間際の白鳥は最も美しい声で歌う』という欧州の伝承を以前耳にしましたが、汐留さんの場合はいつもよく通る大きな声をしていますから、むしろ潰れた悲鳴は新鮮で、聞き惚れてしまうほどに甘美な味がするかもしれませんね」

 思い付きのままの、睦言のつもりだった。
 先程まであんなにも積極的だった汐留さんが、電源を落としたかのように静かになる。柄にもなく照れているのか?不自然に思い顔を上げると、彼は舌先を仕舞い忘れたまま、肝を潰したとばかりに苦い顔をしていた。
 ……その表情でようやく気付いた。間違えたのだ、言葉選びを。
 
「……。……違います。誤解です。殺さぬよう努めます。誠意を持って世話します。ただ何度もそれを聴くことで、この自分の暴力の衝動を受け入れるに足る器が、やはりあなたの肉しか有り得ないのだと……強く噛みしめたいというだけの話です」
「うーわ……言ってること全部やばー……趣味悪すぎ……。お願いだから俺のこと、ぶっ壊さないでくださいよ?これ以上つけあがらないように前もって主張しときますけど、本当は痛いの、本気で凄く嫌なんですからね?丁重に扱ってほしいんですからね?」
「そうですか。今は置いておきましょう」
「は?何その言い方。聞か猿の真似ェ?冗談にしてはつまんないですよ。それとも変態度が俺の想定越えちゃった?
 ……ま、いいや。どうせそんな未来なんて訪れっこないんだから、考えるだけ時間の無駄ってやつです。だって俺は最初から、世界の果てまで大崎さんについて行くつもりだもん。
 いいですか?ずっとですよ?泣いて嫌がっても止めないから。覚悟してくださいね?」
 
 汐留さんの手の甲が自分の額に宛がわれる。あの頃の遊びの再現だ。前髪をかき上げて、大きく開いたつぶらな瞳でこちらを覗き込んでいる。
 当時の『彼』は無関心に、断る理由も無いからと好きにさせていたはずだった。
 今はどうか。あらゆる他者の手を拒むこの白い毛髪だが、彼に触れられるのだけは快い。抵抗する気など微塵も無い。
 瞼を閉じると、汐留さんはその上から甘く眼球を噛み、ざらりと湿った舌を這わせた。
 口を離した彼の双眸は、腐り落ちるのではないかと思うほどに熱く熟れている。酷くふしだらな微笑みだった――出会った頃と同じ、突飛な子供らしさの面影をほんの微かに残したままで。
 彼を変えたのは誰か。紛れもない自分だ。この自分だ。彼が『彼』を壊したように、自分も汐留さんの羽を捥いで、壊して、墜落させた。孕む狂気と穢れた童心はそのままに、淫らな新しい器に変態させた。
 あなたが抱える孤独が剥き出しになるように。他の誰でもない、この自分の白い型に、ぴたりと填まるように。
 兄が母を犯す情景を拙く想像しながら、あなたを内臓の深奥まで、何度も何度も貪った。
 
 ある意味では共に死に、共に生まれ変わったといえるのかもしれない。それはとても自然なことで、むしろ当然の成り行きだとすら自負している。
 第三者からすれば度し難いほどに病的な偏愛だろうが、真白の自分からして見れば、この結末こそがたったひとつの冴えたやり方なのだという、揺るがぬ確信しか在り得なかった。
 解を否定する者はすべて余さず、この掌で握りつぶそう。紅い汁を滴らせる果実のように。


 覆いかぶさった身体の下で。
 横から降り注ぐライトの光を眩しがると、汐留さんは手で庇を作り、ぎゅっと強く目を瞑った。

   

 ――古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。

 旧いわずらいは塵と化し、変わらず爛れたままの両手の間をこぼれ落ち。
 身から生じた一握りの灰を差し出して、彼の胃の腑に下る恐怖と歓喜に心を震わせた。
 燃え殻は白かった。偽りの昏い光を明滅させた。
 新たな自我を宿した残骸は、かつての原型を白く象って、肉の棺を内から叩き、再び現世へと這い出した。
 まともでない出生の経緯とは、結局切っても切れぬ縁にあったのだ。皮肉なことに。
 このように穢れた者は、決して産まれてはならぬ、忌むべき凶兆に違いない。
 ……識っている。
 それがどうした。
 今の自分にとって世界はどこまで行っても、あの探偵事務所、そして汐留さんの隣で成り立つ箱庭だ。他など要らない。望むのならば欲しい他者にくれてやる。
 たったふたつの居場所。それだけで完結する。果てはすぐそこにあった。

 ――だからもう、古いあなたは行き止まりの踏切を過ぎた、向こうの先へ進むといい。
 始まりから終わりまで、赤黒く穢れに充ちていたその生は、真白に刷新されたのだ。
 留まりつづける必要はない。
 悔恨と煩慮の束を両腕に抱えたまま、死したあなたは魂が望む場所へと逝くべきだ。
 自分もあなたの足下に、一輪の手向け花を残して立ち去ろう。
 
 和障子造りの窓の外、雪灯りのしじまに響く、一際高く鳴いた美しい風声。
 眼前に広がる汐留さんの瞳の奥を越えた先に、あの懐かしい大江島の青い海と。
 ――遠ざかっていく、自分とよく似た面差しの、喪服を靡かせる黒髪の男の影を見た気がした。



【了】

後書き(2025年8月30日)

初出:2024年12月9日

 これを書いているとき滅茶苦茶楽しかったんだよなあ。前作ifと比べると、作風の点でわりと自分本来の色が出ている作品だと思います。
 また地の文について。前作ではなるべく原作の雰囲気に近づけようと努めたのに対し、こちらは「2pカラー大崎さんの外界への心の持ち様」を強く反映させました。拒絶だとか、無関心だとか、あるいは感傷を。
 あらゆる面で前半と後半で異なった温度感を抱かれるかと思われます。それでいてちゃんと対比になるよう工夫しました。色々な要素をパズルのような、或いは積み木の塔みたいに組み立てて練った覚え。再読すると初見とはまた違う感覚になれるんじゃないかな。。

 没ネタ→静馬さんの聖書の引用あたりで「チェリーピック(チェリーピッキング)」を匂わせる描写を入れるか迷いました。マーガレット・アトウッドの『誓願』だったかに出てきた話と描写です。時代がちょっと違うから駄目かもなと、描写自体をお蔵入りにしました。もうひとつ削るか迷った東京タワーの下りを採用したしね……。

以下はPIXIVにも掲載してある当時の後書き(キャプション)です。補足みたいな感じ。

◾️2Pカラー大崎さん
 SNS上で行ったアンケートの結果「白髪化大崎さん」の二次創作を執筆することになりましたが、自分は原作の汐留√で白髪化自体は有ると予想しています。『孤島の鬼』でも印象的なシーンですしね。なので後編公開前に執筆した今回の二次創作では、あえて絶対にこうはならないだろうと感じた変化球を投げてみました。ある意味で冒険的な物語と作風になったので、好き嫌いが分かれる話だとは思います。
・補足「前半の2Pカラー大崎さんがふとした小さな思いつきを実行してじっと観察する」というおかしな挙動を数箇所挿入しましたが、あれは幼児によく見られる行動を意識して描きました。また地の文(独白)の文体が要所要所で微妙に変化するようにしました。主に大崎さんの心境の違いや、外界との関わり方の表われです。想像を楽しんでいただければ幸いです。
・余談:白い鹿撃ち帽は退院祝いの事務所からの贈り物。オーダーメイド。奮発した。

◾️汐留
 自分からすると前編で見れた奇抜さとやかましさは、目立つため=不遇な子供が有する、周囲や大人達から無視されたくない、自分を見てほしいという願望が由来なのかなと思っています。中々全容が掴めないキャラですね。明かされている言動や仕草の限りだと、気張って騒がずとも自分を特別視してくれる、ちゃんと認めて愛してくれる人さえ出来たなら、可笑しさはそのままにそんなに行きすぎた奇人の皮を被らないんじゃないかとも考えてはいるんですが。変な空気の読み方・壊し方をしますよね、汐留って。地頭良いんだろうなあ。これでもし本当は周囲を見下していたら、凄く子供らしい青年になりますね。
・補足:妙に爛れさせた理由。お前が大崎さんをぶっ壊したんだからお前も白い大崎さんから何処かしらをぶっ壊されないとフェアじゃないよな?
 
◾️静馬さん 
・補足:静馬さんは本当の自分を探してる最中です。そんな中で弟に先を越されちゃったら、兄貴としてはやっぱ嫌なんじゃないかなって思ったので今作はこういうバチる方針にしました。
 静馬さんの喋り方に関しては大崎さんへのデレよりも、自分が原作から感じた男らしさ、兄としての複雑な感情、初期資料集の「犯人!」への反応から感じた印象を試行錯誤してああいう口調にしました。

◾まとめ
 ある意味思いついたままにシミュレーションしながら書いた二次創作ですが、根幹は、
「極限状態で心が壊れることで初めて本当の自分と向き合える。そこから岐路に立った際、抗わずに諦める・不条理を認めてしまう道を選んだ場合、それもまた一種の成長だけど、当人からすれば”それまでの自分”の一切の喪失から始まる、新たな生の始まりに等しい」
「自分自身が新たに変わっていく。生まれ変わっていく。そうでなければならないし、そのことが許されている」
 ということだったのだと今では思います。
 産まれた2Pカラー大崎さんが初めて目にして心を震わせたものが、あの汐留だった。汐留もまた溢れんばかりの狂気を抱える残酷な悪性の持ち主です。暗闇の先で発見した「昏い光彩」「双つの太陽」こそ、メタメタにされた直後の2Pカラー大崎さんにとって「自分のためだけにある、ありのままの美しい世界」であり「どうしようもなく切実に求めるもの」でした。
 汐留を肯定し手に入れることで、2Pカラー大崎さんもまた自己を肯定できる。自分の本性を赦して、好きになれる。救いを得られる。新しい命、生への祝福。けれどそれは果たして真に光のハッピーエンドか?こんな感じのオチな気がします。

SNSとコメント欄で感想を頂戴しました。本当にありがとうございます。
執筆中は麻痺していて不安でしたが、汐留と静馬を通して2pカラー大崎さんを象徴する「白」の多様な側面を無事落とし込めたようでホッとしました。
あと静馬さんが好評でした。僕の書く静馬さんが有名なミステリー小説の主人公の口調に似ているらしいので今度試しに読んでみます。情報ありがとうございました。

以下は執筆前に雰囲気を掴むために描いたもの。設計図みたいなものです。