ss・『赤い土塊に沈む』

お題は『死体埋め』 のはずが……?

「そんな黙々やってもさー。死体をわざわざそのまま埋めるなんて非効率だな~って、どんどんバカバカしくなってきません?」

 背後からの声が、無心のまま進めていた作業を中断させた。
 洪水の如く押し寄せる鮮烈な現実の一切を、希薄にさせた意識が認知する。
 重い腕、握るシャベル、衣服に張り付く汗みずく。そして穴の底に横たわる、腐敗した男の亡骸。
 一度途切れた集中は知覚の暴力を以て理性を嬲る。襲う耳鳴りと頭痛を振り払うため、集る蠅を払うためにまた一山、湿る土の塊を上に被せた。

「弔意とか何とか云ってるけど、火葬してあげない時点でウソじゃん。埋めるより先に燃やす方が効率良いのに、あなたは人が燃える姿を見るのが怖くて、最適解から逃げてるだけ。まあ、俺のためにやってくれてるんだから文句を言える立場じゃないですが」

 新たに出来たであろう遺体の損傷を確認しようと覗き込んだ際に、あの伏せられた瞼の奥と視線が交わった気がした。その眼差しは未だ腹の底に残された自責のかたまりを更に追い詰める。何故、人としてあるべき道を見誤り、裏切ったのだと。
 きっと彼は……彼の肌の上に浮かぶ自分の影は、この愚劣な行いを怨んでいるに違いない。
 鈍る心臓の潮流を抑制するため、深く息を吐く。
 顎から首へと流れる汗を手の甲で拭った。手袋の内側は疾っくの疾うに、不快を覚えるほど酷く蒸れていた。
 動揺は呑み込んだ。一線を越える覚悟も決めた。ならば今この瞬間、四肢の末端にまで熱く迸り、傷口から溢れ出す罪悪感は何処から生じたものなのだろう?
 この掌は生来から、人を真似たものでしかないのに。悼む資格など、ありはしないというのに。

 降らせ続けた贖罪の泥土。覆われていない残りの箇所は顔周りだけだ。
 内から腐りゆくあの肉も、血も、悪臭すら、やがてすべてが還り、この大江島の一部となる。生前の彼が元から持ち合わせたものも、死後に外部から植え付けられた穢れも、何もかもが液状化し土に染み渡るのだ。

「ねーねー大崎さん、今更かもだけどさー、本気でバレたくないなら食っちゃった方が安心できない?やっぱ食える分だけでも俺が食いますよ?ばっちいけど気にしません!胃に入れちゃえば全部同じです!」
「駄目です」

 ぴしゃりと背後の青年――汐留さんの提案を一蹴する。
 発声と共に遺体の全身を埋め終えた。顔の部位を後回しにしたのは無意識だったと思う。端から見れば不自然な埋葬だったに違いない。
 振り返った先で、汐留さんは腰を下ろしたままこちらをじっと眺めていた。纏わりつく蝶の群れになど目もくれず、最初から最後まで、彼は只々この自分を観察し続けていた。

「どうしてそんな頑固になるかなー。土葬と食事って似てるじゃん。差つけて余計に気に病む必要、本当にあります?」
「似ている?」
「土の中で微生物に食われて養分にされるのと、胃の中で消化されるのって、すげー大雑把に括れば一緒じゃない?」

 その思想は奇人の域を越えて気狂いの質だった。
 汐留さんは自身に内在するこうした突飛な狂気の流露を、この自分の前ではもはや隠そうともしない。
 思わず眉を顰めると、汐留さんは首を大きく傾げた。彼に対する理解が不足した自分へ不満を露わにし、子供のように拗ね始める。

「倫理的にまずくても、手段としては間違いじゃないと思うけどなぁ」

 あまりにも当然だと言いたげに振る舞うものだから、実行したこちらまで勘違いをしそうになる。甘えだ、言い訳でしかない。
 人が作った道徳と、青年への想いを秤にかけ、自分は後者を選んだのだ。
 まるでもつれた糸のような思慕だ。彼が世を害さぬために打つ楔へこの身を変えた。諦念も否定はしないが、彼に寄り添いたいという心の声に従ったのだ。
 この結果と新たな罪業は、対価だ。世のためと欺瞞を翳しながら自己の欲求を選択した人でなしへの罰。客観視しても釣り合わないほどに軽すぎる。自分の本性を鑑みれば、この罪の意識はきっと傷跡にはならないだろう。汐留さんという瘡蓋によって取り払われる、一過性の後ろめたさだ。

「大崎さんはそっちを選んだとしても、いつか大崎さんが俺より先に死んじゃったら、俺はあなたを食べますからね」

 気が付くと、汐留さんがすぐ目の前に立っていた。彼はぱたぱたと手でこちらの全身を軽く叩く。土埃でまみれた汚れを落としてくれていた。

「土葬とか火葬とか、俺に期待しないでくださいよ?虫にすら一滴もあげません!腐り始める前に全部、ぜーんぶ俺が丸呑みしちゃうから!」

 両手を大きく上にあげ、汐留さんはいたずらっぽく笑う。普段と変わらぬ大袈裟な身振り手振り、構われたいとわざとらしく演じる子どもの様だ。

「肉だけじゃないですよ!骨もサラサラ~っと砕いて飲むし、血液だって床に落ちた分も舐めて啜ります!……あ、そういえば大崎さん喫煙者じゃん!ゲェ、血まずそー。いや!それでも俺は大丈夫です!嫌いなものナシなんで!だからいつかあなたを埋める時が来たら任せてください!上手くやりますよ!」

 そう言って汐留さんは、ぎゅっと包むように抱き着いてくる。
 その体温を布越しに感じると、あるひとつの夢を白昼の中に見出した。
 やがて朽ちた自分の死体が、汐留さんという土に埋もれ、分解されていく幻覚だった。崩れ落ちる穢れを破片も零すまいと、彼は蹲ってそれを抱えている。
 そんな汐留さんの姿を幻視して、ああ、自分は彼より先には死んではならないと強い使命感に駆られた。
 死後にようやく勝ち取れる唯一無二の煌めきだとしても、彼にそのような弔いをさせたくはない。置き去るわけにはいかない。
 自分こそが彼を看取り、別れの言葉を告げる他者にならねばならない。
 
 決して、あの涙を現実のものにはさせない。

 祈るように目の前の汐留さんを抱き寄せ、「もしも」の世界の青年の残滓を、この腕の中に葬った。

(初出:2024.12.17)